たなごころ。

たいせつなものはすべて、てのひらのなかに・・・

遙かなる光明

「今日という日は二度とない」

そういう言葉を時々目にするけど、目覚める朝は何も変わらないいつもの朝。
いつものように支度をして、いつもと同じ道を通って仕事へ向かう。
変えようのない毎日が、これから先もずっとずっと続いていく。



何も変わらぬ毎日を流されるままに同じように繰り返して、人はそうやって歳を重ねていく。その力には誰も歯向かうことは出来ない。 夢は夢、立ちはだかる現実、変えようがない毎日。
妥協と諦めを繰り返して、いつか諦めることに慣れてしまう。


少し前の僕は毎日そんなことを考えながら、ベルトコンベアのような毎日を過ごしていた。
決して自虐するわけじゃないけど、今考えてみるとつまらない毎日をつまらないままにしてきた。


転機が訪れたのは約2年前、仕事で初めて訪れた土地。

何もかもから解放されて、見知らぬ土地で過ごした数日間。 その数日の出来事を細かく書くことはしないけれど、僕にとっては本当にかけがえのない数日だった。

その、たった数日を境に僕の価値観はがらりと変わってしまった。
この出来事は誰に話しても理解されないだろう。でも、僕の中では大きな転機であり、暗闇の中でようやく見えた一筋の光明でもあった。



「このまま何もない毎日を送りたくない」


帰宅した僕はがむしゃらにそれだけを思って、ようやく見えた光明を追いかけようと毎夜のように家を出た。 家に居ては何も変わらない。狭い世界に居たくない。とにかく外に出なきゃ・・・。
休日は朝からふらふらと出歩き、どこに行くわけでもなく車を走らせた。
夜は意味もなく街に出かけて、明け方まで飲み明かすことも多くなった。

でも、その光明は決して近づくことなく、闇雲に走れば走るほど、もがけばもがくほど遠ざかっていく。 そして僕に訪れた大きな転機は、家族である妻にとっては悪夢の始まりだった。



「元のあなたはどこ?」


『夫婦ふたり、狭い世界であったとしてもふたりで歩んでいきたい。』

そう考える妻と、

『自分のためにも妻のためにも、世界をもっと広げたい。』

そう考える僕との間では大きな衝突が何度も起きた。
結婚して随分経つけれど、去年ほど喧嘩を繰り返した1年はないだろう。

離婚届を何度も書いた。
お互いに進む道が違う。見る場所が違う。周りの空気も違う。
似たもの同士のふたりだったけれど、その時は何もかもが違って見えた。



「俺は俺の人生を歩みたい」

やっと見つけた光明を、逃したくない。一緒に追いかけられないのなら、ここに置いていく。
たったひとりで追いかけたとしてもひとりぼっち。僕はそれでも良いと思ってた。 それぐらい、僕自身も追い込まれていたんだと思う。



針のむしろのような毎日をすごしながら、1年が経った。
離婚寸前だった僕らふたりは、なんとかそれなりに歩いていける道を見つけようとしている。
お互いに傷つけ合い罵りあった夜もあった。でも、そのおかげでお互いに楽な距離感をつかむことができた。

あの日見つけた光明は、おぼろげでまだ遠い。
決して諦めたわけではないけど、それを道標にゆっくりと歩いていけばいつかはたどり着けるだろう。

『今すぐに追いつく必要はない。それに向かって少しずつ歩む一歩一歩が、毎日の変化につながる。』
そう思えるようになっていた。



中国の雲門文偃禅師はこう言った。

『日々是好日』

楽しい日もあれば、悩み苦しむ日もある。
どんな日であったとしても、その1日を全身全霊で生きること。
その心意気こそが、光明への道標。

その道標に向かって、ようやく一歩踏み出すことが出来た。


「今日という日は二度とない」